アメリカ公民権運動の歴史は組電池みたいだ

アメリカ公民権運動の歴史は、どこか組電池のようにも感じられます。
アメリカはもともと移民の国で、歴史が浅いために、
歴史はつくれるもの、変えられるもの、という気概があるのか、
公民権運動も広がりやすく、活発化しやすかったようです。
新種の気鋭に富むからこそそうなった反面、運動もさまざまに分化、
分裂しやすい面がありました。

ただ、分裂しても、目指す方向は突き詰めていけば同じであるため、
目的に向かって力を合わせることができていたと見ることができます。
どういう方針をとる公民権運動団体であっても、
公民権獲得を実現させるためのパワーにはなっていたからです。
分裂していても、目的を見誤らずに、
常に同じものをターゲットにしていました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です